『名も無き 雑草。・・そして 此処に おります♪』 


by deracine_anjo
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『深紅の薔薇とおわら風の盆☆』 (9)


 親の庇護の元 生きている上では どれ程 子供にとっては理不尽であろうが

 やはり それは 絶対的なものだった。

 そして 絶対的であるはずの親も 壊れてしまう事があるという事を 私達自身が 

 学ばなければ成らない時が来る事も。。。
 
 けれど その 境界線が 切れる瞬間が 刻々と 近づいている事を 誰も まだ

 気が付いては 居なかった。



 当時 羽振りの良かった叔父夫婦が おかしくなり始めたのも その頃だった

 気がする。

 小さな町の夜の世界で 叔父を知らない人は 居なかった位 羽振りの良かった

 人生が オーダーメードから 安価な量産品に 変わる時代に 叔父は 乗り遅れ

 いつも 着飾っていた伯母の生活も 子供(男の子2人)に 欲しい物は 全て

 買い与える様な生活から 坂道を転がる様に 変貌を遂げた。

 ある日の夜 小学生の弟だけを連れて 逃げてきた伯母は 洋服と幾らかの

 お金を母から借り そのまま 二度と 戻って来なかった。

 昼間から お酒を煽る父親を 何故か 兄の方は残ったまま 見つめ続けていた。

 もう 力の無い祖父母は 我慢を強いられ 我が家に来る事だけが 楽しみに

 そして 目立って荒んで居る様子も見せず バンドに逃げ道を求める様に

 無口に成っていく 残された兄。



 それでも 一度だけ 叔父は起死回生を試み 自宅兼店舗のビルを

 姉妹の力も借りて 一階を喫茶店、2階を紳士服屋・・・三階、4階を自宅として

 努力しようとした。

 丁度 私が 中学から高校に入る春休みに 足の手術を受け 入学式前日に

 無理矢理退院した事が災いして 一日置きに病院に行かなければ成らなかった為

 午後からは 叔父の店を手伝っていた。

 始めて 私は 其れまで持った事も無い包丁とフライパンを持ち 母から習った 

 ピラフやサンドイッチを カウンターで作っていた。

 今にして想えば 美味しかったのか??

 懇意にしているお隣のバイク屋さんや近くのマージャン店から 出前を頼まれ

 たりして 細々だが 生活していたが 結局 叔父の心が 立ち直れて無かった。



 人の心だけは 誰にもどうしてやる事もできない。

 本人が 立ち向かうのを多少の助言と 見守る以外に。。。。

 そして 叔父は 壊れた。

 叔父の心に 一人残った息子の事も 離婚届を送りつけられた事も もう 全て

 あの時 どうでも良かったのだろう。。。。



 そして。。。我が家でも 最後の糸が プツンと 切れた。

『深紅の薔薇とおわら風の盆☆』 (9)_a0021871_0234555.jpg

by deracine_anjo | 2005-11-06 19:25 | ☆深紅の薔薇とおわら風の盆☆