『名も無き 雑草。・・そして 此処に おります♪』 


by deracine_anjo
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

『☆深紅の薔薇とおわら風の盆☆』 (6)

 

 今でも というより 現在だからこそ 『おヒトの出会い』 こそ 宝なのだと 

 私は 告げたい。

 そういう意味で 子供の頃の私は 大人達との出会いで 翻弄され 

 ハッキリ言えば 両親も含めて 人間を 嫌悪していた。



 あの夜以来 私は 死語に成った『スパルタ』という 環境に置かれた。

 成績が下がれば いの一番に 習字を辞めさせられた。

 通信教育の走りである教材が 山の様に目の前に積まれ 真夜中

 母を目の前にして 一日のノルマを果たすまで 眠らせては貰えなかった。

 眠気が襲うと 長尺(洋裁に使う)で 手を 叩かれたものである。

 しかし それで 私が 成長した訳では無かった。

 3年生から6年生までの お二人の担任の先生のお陰で

 私は 学校内では 伸びやかに育てられたのだった。



 お1人は穏やかな先生だった。

 もう1人の先生は 体育会系の大雑把だが プロだった。

 いつも 空き缶に針金を通した 自前の灰皿を持ち歩き 煙草はショート・ピース。

 6人を 一グループとした形で 団体責任を身体で 覚えこませる。

 1人が 宿題を忘れると 『校庭 5周!!』 の 叫び。

 まるで 軍隊である。(笑)

 しかし それが 私の運動神経を開花させ ヒトに迷惑を掛けないという 基本を

 身体で教え込ませてくれ 成績は 上がった。



 しかし 自宅に帰った私は 笑わない子供だった。

 当時の写真は 殆んど無い。

 ライカのカメラを手に入れていた父が 家族を撮る等という思考で 手に入れた

 訳ではない。

 10ヶ月 日本を離れ 帰国した父の元に 10日間は 親戚達が 昼間から

 大盤振る舞いの宴会を 繰り広げるが 其れも静まると 余り趣味の無い父は

 暇を持て余し ともすると 不機嫌になった。



 不機嫌だからではなく 父親としての威厳を 示す様に 私が些細な事でも

 口答えをし様ものなら 朝 起き上がる事ができないほどに 暴打された。

 母も それは 必要なのだと想って 黙って観ていた。

 

 朝 体中の痛みで 起き上がる事もまま成らぬ私の枕元に 父が膝をつき

 起き上がらせた後 体中に 湿布薬を貼る日々が 高校生のある瞬間まで

 続くのだった。。。


『☆深紅の薔薇とおわら風の盆☆』 (6)_a0021871_157030.jpg

 
by deracine_anjo | 2005-10-30 15:16 | ☆深紅の薔薇とおわら風の盆☆