『名も無き 雑草。・・そして 此処に おります♪』 


by deracine_anjo
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カテゴリ:『凍えた月を見つめて』 小説( 23 )


 拓哉は 院長室で 心臓外科部長の榊原と共に 革張りのソファーに座り 

 院長の返事を 静かに待っていた。

 拓哉の意志は 前もって榊原には伝えておいた。

 それを 榊原が院長に伝え 今日が その返事を貰える日だった。

 拓哉は 後1ヶ月の猶予を与えて欲しい事と共に 己の判断で もう2度と

 メスが持てない様ならば 病院から退く事を 希望していた。

 心臓外科医が メスを持てない事程 辛い事は無いと想っていた拓哉の心に

 新しい生命(いのち)を授かった事で 1つの転機が起こっていた。

 小さなクリニックで 老若男女問わず 大きな病院に行くのを 躊躇う人達に

 決め細やかな診察を行う・・・生き方には そういう方法も在ると想ったのだ。

 それは 今回 明子がお世話に成った産婦人科で 目の当たりに感じた

 事だった。

 女性にとって 切っても切れない『婦人科・産科』 しかし 子供を授かった人なら

 敷居の高い場所ではないが それ以外となると 躊躇をしてしまう。

 癌検診も身体に変調が起きるまで 受けた事が無いという女性が 多く存在する

 事も 統計的に知っていた。

 しかし 明子が見つけた病院の雰囲気は 其れを 払拭するものだった。

 若い女性から 熟年の女性まで 心に抱えた心配事を この病院になら

 此処のドクターになら。。。という 雰囲気が 男の拓哉にすら伝わってきた。

 『内科』 や 『外科』 と違って 『心臓外科』 も 同じ事だろう。

 得てして 大きな病院は どの科で診察を受けるにしても 多くの段階を

 踏まなければ成らないという 患者にとっては 足が遠退く原因のひとつ。

 ましてや 『紹介状』 が 無ければ 初診を受ける事も出来ない場合もある。

 『心臓外科』 は 敷居が高いにも関わらず 多くの患者が居るのが 事実だ。

 その敷居の高さを 拓哉は 何とか出来ないだろうかと 考え始めていたの

 だった。

 

 『加瀬ドクター この度は 結婚 出産・・・突然の話ではあったが 喜ばしい事だ。

 本当に おめでとう。』

 張り詰めた空気を和らげる様に 院長が 口火を切った。

 『ご報告が遅くなって仕舞い 申し訳ありませんでした。ありがとうございます。』

 『いや 今の時代は 形式や形に囚われないのが 普通なのだから 構わんよ。

 母子共に 順調かね?』

 『はい。少し早めに生まれて来ましたので 子供はもう暫く 病院ですが 妻は

 お陰様で 順調に回復して 明後日には 退院出来る運びと成りました。

 お心遣い ありがとうございます。』



 『妻』 と 答えた拓哉の心に 喜びと新たな闘志が 身体中を包み込むのを

 静かに感じていた。

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               『凍えた月を見つめて』 小説 (22)
by deracine_anjo | 2006-01-17 22:44 | 『凍えた月を見つめて』 小説

 静かに 『503号室』のドアをノックし 拓哉はドアを開けた。

 『拓哉?』・・・疲れている様子だったが 優しく輝く様な微笑で 見つめる明子。

 けれど・・・頬には 涙の跡が・・・。

 『明子、ありがとう。今 僕らの赤ちゃんに逢ってきたよ。

 綺麗な女の子だ。明子に似て美人で 健康そのもの!!煩い父親に 僕は

 成りそうだよ。』

 『煩い父親?』 不思議そうに 拓哉を見つめる明子。

 『あぁ。変な虫が 寄って来ない様にと ハラハラしそうだからね。』

 『拓哉ったら。今からそんな事 考えてるの?』

 『明子をNYに行かせた時も そうだったよ!!君は 素敵な女性だからね。』

 自然と唇を重ね合わせながら 明子の瞳から新しい涙が止め処もなく

 溢れていた。

 『拓哉 ごめんなさい。私 間違っていた。拓哉にも赤ちゃんにも 自分勝手な

 生き方を選んで 迷惑・・・』

 嗚咽で それ以上言葉に成らない明子の唇を 優しく人差し指で抑え

 『婚姻届と出産届けを 直ぐに出さなきゃ成らないね。

 名前は・・・・輝(かがやき)と書いて あかり・・・なんて どうかな?』



 明子の両親に昭子を託し 拓哉は明子の着替え等を取りに一度 自宅に戻り

 安堵感が心を満たし 始めて 泣いた。

 心は神に感謝する想いと幸福感で満たされていた。

 『ありがとう、昭子。僕は最高に幸せ者だよ。』自然と零れ落ちる言葉。 



 そして 拓哉の心に ある1つの決意が想いとして 浮かんでいた。

 今夜の月の様に。。。。

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             『凍えた月を見つめて』 小説 (21)
by deracine_anjo | 2005-12-20 10:01 | 『凍えた月を見つめて』 小説

 一週間は あっという間に過ぎていった。
 
 互いの両親への報告から始まって 細かい手続きや病院周りに 毎日が24時間

 では 足らない様な日々だった。

 拓哉も出来る限り スケジュールを調整して 明子に付き合ってくれてはいたが

 やはり 一週間では 無理だった。

 明日 NYに戻ると言う日・・・・明子は破水した。

 予定はまだ 2ヶ月先だと言うのに。

 携帯を握りしめ 救急車を呼び 拓哉の携帯にも電話を入れた。

 歯を食い縛り 救急車が来るのを待ち

 『水島総合産婦人科に。。。』 其れが 意識が残っている 最後の言葉だった。



 拓哉は院長の言葉を 1つ残さず聞き漏らすまいと 真剣な面持ちで話を

 聞いていた。

 『一度 切迫流産の経験が有った事を踏まえて 8ヶ月ですが 充分に元気

 に育っていますので 産む事を選択しました。

 母子共に 順調です。けれど 暫くは 赤ちゃんは保育器の中。。。と言う事に

 成りますが 到って健康で 今現在 異常も診られませんので 御安心下さい。

 逢って行かれますか?可愛いお嬢さんですよ。』

 拓哉自身が医者である事は 院長も知っている事実。それ故にキチンと事実を

 話してくれてくれている事が 拓哉には ありがたかった。

 『御願いします。妻にも 元気だと 伝えてやりたいので。。。』

 自然と拓哉の口から出た 『妻』 と言う言葉。

 微笑む院長は 保育室に 拓哉を先導した。

 『右手前にいる赤ちゃんが そうですよ。気持ち良さそうに 眠っていますよ。』



 ガラス越しにしか 逢う事の出来ないもどかしさはあったが いつしか 拓哉の

 瞳から 熱い涙が 流れ落ちていた。



 その姿を見つめたまま 『奥様は 503号室ですから。。。。』 

 院長はそう告げると 静かに去って行った。

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              『凍えた月を見つめて』 小説 (20)
by deracine_anjo | 2005-11-27 12:22 | 『凍えた月を見つめて』 小説

 前回の事がある。
 
 また 彼女が遣ってきたのだろうと そのまま インターフォンにも出ないで 

 ビールを飲んでいると ガチャガチャと玄関で微かに音がする。

 『いい加減にしてくれ!』 そう呟きながら インターフォンを握りしめようとした途端

 玄関の開いた音と共に 聴きなれた明子の声で

 『まったく 拓哉は 未来の妻を迎えにも出ないで 一体 何をしているの!!』

 慌てて 廊下のドアを開けると 其処には 紛れも無く 愛する明子の姿が。。。

 一瞬 拓哉は右手を隠そうとしたが 傍目には もう殆んど解らぬ程に リハビリは

 進んでいた。

 『明子。。。。』 それ以上言葉に成らない拓哉の胸の中に 明子は飛び込み

 熱いkissを 心を 確かめ合う二人だった。



 『ほら!!拓哉の子供。。。順調に育ってるよ。』

 何と輝くような笑顔で微笑む明子なんだ。これが 母親に成ったと言う事

 なのだろうか?

 『触ってみて・・・感じて・・・』

 明子は素知らぬ顔で 拓哉の右手を掴み 自分の腹部へと導く。

 『何 照れてるの・・・拓哉でしょ!!父親は!!待ってるのよ・・・拓哉の

 ぬくもりを感じたくて・・・今迄 寂しい想いをしてきたから。』

 一瞬 震えるのでは・・・と 脳裏を掠めたが これが奇跡なのだろうか。

 この子の波動に 拓哉の右手は 今までとは違う何かを感じて 自然に明子の

 いや・・・自分の子供に導かれていった。

 静かに微笑む明子。

 『ありがとう。。。』 自然と涙と共に零れる言の葉。



 考えた末 キチンと日本で拓哉の妻として子供を生む為に 1週間の短い

 期間ではあるが 両家の両親への報告と婚姻届 それに何よりも 

 産婦人科との繋がりを持つ為に カリキュラムを中断して 帰ってきたと 

 久し振りの明子のぬくもりを 確かめた拓哉は 明子の言葉を静かに聴いていた。

 『後少しで 終了するの。だから これだけは 我が儘を許して欲しい。

 勿論 体の事を一番に考えているわ。今回のフライトもドクターに相談して 太鼓判

 押して貰って 帰ってきたのだから・・・。』

 

 『もういいよ。このまま 明子と子供のぬくもりを感じていれば 僕は 何も

 反対はしないよ。』



 静かに そして 熱く 明子を求める拓哉の心の中に 新たなる闘志が

 湧いているのを 明子は抱かれながら 幸せに感じていた。


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              『凍えた月を見つめて』 小説 (19)
by deracine_anjo | 2005-11-18 12:54 | 『凍えた月を見つめて』 小説

 一瞬 驚いた表情を見せた伯母の陽子だったが 明子の言葉を1つ1つ噛み

 締める様に耳を傾けていた。

 明子の横顔は 今迄見た事が無いほど 凛とした美しさの中 静かに言葉を

 告げていた。

 (この子は いつの間に こんなに強く成ったのだろう。。。

 母親としての自覚もキチンと持った上で 尚且つ 最悪の場合も考えて 私に

 と言うより 自分自身に言い聞かせる様に 告げているのだろう。

 応援してやりたい。けれど 其れが果たして 吉と出るのだろうか。。。もし。。。)

 陽子の気持ちを察する様に 明子は静かに微笑んで

 『少し風が出てきたみたい。そろそろ 家に帰りましょう。』

 『そうね。風邪でも引いたら 大変だもの。ごめんなさい。ボンヤリして。。。』



 車中の中でも 二人は それぞれの心と語り合っていた。



 拓哉の外来での評判は 瞬く間に 近隣や近県に知れ渡った。
 
 当然 今の拓哉では 執刀医としてメスを握る事は承知の上でも 患者の

 身に成り 最善の治療を考えてくれる。

 時には 手術にも立ち会ってくれる。

 患者の信頼感は 病院側が考えた以上だった。

 それに 違った形で 拓哉には オファーまで 舞い込んできていた。

 メスを持てない外科医など 羽根を捥がれた鳥の様なものだが 拓哉の

 確実な診断は メス以上の能力でもあったのだ。

 後任の指導力も 適切であった。



 拓哉自身は 自宅に帰っても リハビリを続けていた。

 (諦める訳には いかない!!僕は この手に今一度 メスを握る。

 そして 微笑んで 明子と子供を迎えるんだ。

 明子の心が 僕を信じていると 伝えてくる。そう・・・まだ 小さな命の

 子供からも・・・)


 
 そんな事を 想いつつ 厭きる事無く リハビリに少し疲れた拓哉は

 ソファーに越し掛け ボンヤリと ビールを口にした途端

 不意にインターフォンが鳴った。

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              『凍えた月を見つめて』 小説 (18)
by deracine_anjo | 2005-11-05 12:11 | 『凍えた月を見つめて』 小説

 翌日 拓哉は 久し振りに晴れ晴れとした心で 病院へと向かっていた。



 拓哉の気持ちには 一点の曇りも無い。
 カンファレンスの最中に 同情的な視線を受けても もう 負けはしない。
 NYからの朝早い明子からの妊娠の報告を受けた 拓哉は 戦いに挑む 
 孤高の獅子の様だった。
 明子と生まれてくる子供の為に そして 何よりも 自分が生きていく証は
 1%の確立であろうと 今 投げ出し逃げる訳には行かない。
 負け犬に成るのは いつでも成れる。
 部長の説明通り 拓哉は 外来と後任の指導に徹しながら 自宅に帰っても
 リハビリを続けていた。
 今一度 この手に メスを握り 多くの命を救う為に。。。。



 伯母の陽子は 明子の言葉を 爽やかな風の吹くセントラルパークの片隅で
 何も語らず 黙って聴いていた。
 母に成った強さなのか 拓哉への愛なのか 何と あの幼なかった姪が これ程
 逞しく成長していた事に 驚きと喜びを感じながら。。。
 『陽子伯母さん 我が儘を今回は 許してください。
 お腹の赤ちゃんは 絶対に 私が守ります。無茶はしません。
 拓哉にも 怪我の事は 知らないまま 赤ちゃんの事だけ 報告します。
 彼は 神から与えられた天職を 諦めたり 自暴自棄に成る人間では 
 ありません。
 私は 信じています。彼が 又 メスを握れる事を!
 そして 微笑んで 私とこの子を 迎えてくれる事を!』
 『不安は無いの?彼は 神ではないわよ。』
 『不安なら NYに行きを決めた時から 沢山の葛藤がありました。
 この妊娠も 予期していなかった事では ありません。
 でも。。。』



 
 一呼吸置いた後 涼しげで聡明な瞳で 陽子を見つめ
 『この子が 信じる力を 与えてくれます。今は どんな 結果も 
 怖くはありません。』
 


 
 漆黒の闇に浮かぶ 月の様な 美しさを秘める明子だった。

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            『凍えた月を見つめて』  小説 (17)
by deracine_anjo | 2005-10-30 02:49 | 『凍えた月を見つめて』 小説

穏やかな昼下がりの セントラルパークで 日本人二人の姿は 誰の目にも特別不自然でもなく しかし 少しだけ 二人の間に流れる空気が 異質であったかもしれない。
伯母の話を 瞳を閉じ 気が付かぬ内に 自然とお腹に手をあてながら 何も語らず 一言も漏らさぬ様に聴きながら 東京に居る拓哉の姿を思い浮かべる明子。
自然と 瞳から 滴り落ちてゆく涙。。。
その姪の姿を見つめながら 陽子は 言葉を続ける。
『今の貴方にとって 貴方の人生で 一番大切なものは何?NYでキャリアを手に入れる事?
お腹の子供?拓哉さん?』
静かに けれど 単身やはり このNYに来て 色んな辛苦も舐めて来ただろう陽子の言葉は 優しさと厳しさと愛情のある 暖かい言葉として 明子の心に響いていた。
拓哉は きっと 眠れぬ夜を 幾夜も過ごした事だろう。
私の名を 何度も 心の中で 叫んでいた事だろう。
それでも 私を励ますメールを 送り続けてきてくれた優しさ。。。。
それに甘えていた自分。
嫌。。。周りの人間全てに 甘えてきたのだろう。
痛みが 心を 突き刺していた。
今直ぐに 拓哉の元に帰るのが 一番なのだ。
この命と 拓哉を支えて 生きていく事が 私の幸せなのだ。
その事に 躊躇う余地など無い筈。。。。



明子の心の中で 沢山の葛藤が見て取れた。
単純に 『帰国する』 という子だと想っていたが このNYに来て あの幼かった明子ではなく ひと周りも ふた周りも 成長していたのだろう。
静かに 明子を見つめる陽子には 明子の答えは もう 感じていた。
其れが 血を分けた者だけが分かる 心だと想いながら 明子が口を開くのを 唯 
黙って 見つめる陽子だった。
止め処も無く美しい横顔を 濡らし続けていた涙が 次第に乾いてゆく。
綺麗な強い娘に成ったものだ・・・・ふと 微笑が浮かぶ陽子。
そして。。。



『伯母様 長い間 辛い思いをさせてしまって 本当にすみませんでした。
何も知らなかったとは言え 伯母様や周りの方 そして 拓哉に今更ながら 守られぬくぬくと 自分の事だけに 生きていた自分が恥ずかしい。
けれど 今は 帰りません。
今迄通り 拓哉との会話も 変えません。
今 拓哉にも 私にも 互いの存在がどれだけ必要で大切なものか 分かっています。
でも 拓哉は きっと 復帰します!!
神が与えた転職です。諦める筈が ありません。
其れまでの姿を 私には 見せたくは無いでしょう。
だから 私は 何も知らないまま 復帰した拓哉の姿を観に 帰国します。
我が儘を 許して頂けないでしょうか?』



『その代わり このこの命は これから先 どんな事が有ろうと 守り抜きます。』

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                             『四季折々に・・・・様 撮影』


              『凍えた月を見つめて』 小説 (16)
by deracine_anjo | 2005-10-27 22:56 | 『凍えた月を見つめて』 小説

まだ 昨夜の酒が抜けきらないまま 拓哉は 何かに誘われるように 着替えを済ませ 街に出た。
行く当などない。 愛車に乗らず 自分の足で 陽射しで温まったアスファルトの道を踏みしめるのは いつ振りだろう。。。
明子は 運動不足になるからと よく 面倒くさがる僕を 無理矢理連れ出していたものだ。
少し汗ばんできた所で 行き付けの店で 一休みする事にした。
無口だが 懐の大きさを感じさせるマスターと奥さんだけで 営むこの店にも 久し振りに足を運んだ事になる。
何故か マスターと話がしたくなり カウンターに腰を据えた。
『いらっしゃいませ。お久し振りですね。』
小柄で華奢な奥さんが 水を差し出しながら 優しく微笑む。
『ええ。。。ちょっと 色々ありまして 足が遠いて仕舞いました。すみませんが 濃い目のコーヒーと 簡単な食事を 御願いします。』
『まだ お酒が残っているようですわね。それに 少し お痩せに成ったみたい。
私の手料理で 栄養を付けていただきましょうね。』
鈴の音の様な 穏やかで 優しい声を聴きながら 荒んで居たココロが 解けていくような気がしながら 厨房に姿を消す奥さんの後姿に 明子を重ねている自分がいた。



其れまで 黙っていたマスターが お気に入りのコーヒーを 少しブレンドして 差し出してくれた。
マスターの人生の味がする様な 苦味と暖かさの篭った 美味いコーヒー。
何処の高級レストランやホテルで出されるコーヒーよりも 断然美味い。
カップを持つ右手に全神経を使いながら 一口口に含むと 至福の時間が訪れた様な気がする。
『事故の事 風の便りで 聴いています。』
普段 無口なマスターが口火を切った事に 驚きながらも 拓哉は小さく頷いた。
『その後様子だと まだ リハビリの最中なのですね。カップを握る姿で解りました。
諦めている訳では ありませんよね。貴方のその右手で 何百人という人間が 命を救われた事を忘れないで下さい。』
それ以上何も語らず 黙々と グラスを磨くマスターの姿に 自棄に成りかかっていた自分を恥じる拓哉だった。
噂では 昔は影の世界で生きてきた人だと聞いた事が有る。
今の奥さんと出会って 過酷な想いをしてその世界から足を洗い 今二人 小さな店を構えるまでに成ったらしい。



『はい!栄養満点。特製のお料理が出来ましたよ。』
其れは メニューには無い ごく普通の家庭料理だった。
『有り合わせで作った物ですから お口に合うか少し心配ですけど 今の先生にはこれが一番のお薬。。。ねぇ マスター。』
『先生に聴いてみろ!』
相変わらずの マスターと奥さんの会話。そして 目の前に出された食事に涙ぐみそうになりながら 拓哉は
『ありがとうございます。』
そう答えるのが 精一杯だった。それ以上 言葉に出せば 不覚にも涙が流れそうだったのだ。



数人の客で賑わい始めた店内の中 静かな時間が カウンターでは流れていた。
2杯目のコーヒーを飲み終えた拓哉は マスターの背中に深々と頭を下げ
『ありがとうございました。諦めません。』
小さく その背中が 頷いた気がした。



外に出た 拓哉の顔は 晴れ晴れとした輝きと微笑みに 変わり 改めて 明子が帰国するまでに 復帰を誓う力強さに 変わっていた。

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            『凍えた月を見つめて』 小説 (15)
by deracine_anjo | 2005-10-22 13:46 | 『凍えた月を見つめて』 小説

取り合えず危機を脱した明子は 今が一番大切な時だと 懇々とドクターに言い渡され 退院の許可を得て 伯母の家に 漸く戻る事が出来た。
頭の中では 講義の事も気に成っていたが 何よりも この芽生えた命を救えるのは今の自分が無茶をしないで 心穏やかに過ごす事が一番なんだと 言い聞かせて 帰国が予定より少し遅れてしまう位に思って 過ごしていたが 東京の拓哉からのメールが 時折 届かなくなってきている事が 心に 影を落としていた。
画面の文字から読み取れる訳ではないのにも関わらず 拓哉の心が 傷付いて荒んでいるような気がして成らない明子だった。
拓哉の身辺に 何か あったのだろうか?
考えたくは無いが オペで あっては成らない 何だかの 重大なミスを あの拓哉が 犯してしまったのだろうか?
伯母の陽子の気持ちの中にも 何かあるような気がして成らない。
退院後 初めての検診で
 『もう大丈夫だが 絶対に無理は禁物ですよ。母親としての自覚を しっかり 持って下さいね。』
ドクターに 言い渡され 改めて 命の尊さを感じる明子を 同行してくれていた伯母の陽子が 何も言わず 自宅ではなく 車をセントラルパークに向かって走らせている事に漸く気が付いた明子だった。
『その様子だと お腹の赤ちゃんは 大丈夫ね。本当に よかったわ。』
運転席の伯母は 明るくウィンクを投げかけながら 微笑んでくれていた。
『ええ 懇々と 注意をされたけど この子は 強い子だって。
だから 尚さら 母親として自覚を持つように お説教されたわ。
でも 本当に 神様が守ってくれた命。これからは 私が 守らなければ成らないのよね。
陽子伯母さんにも 沢山心配掛けてしまったし 拓哉にも申し訳ない。
本当に ごめんなさい。』



セントラルパークの昼下がり・・・穏やかな風に包まれ 人々は 想い想いに 時間を楽しんでいた。
明子にとっては NYに来てから 初めての経験に近いほど 無縁の世界だった。
伯母の陽子は 私に何かを告げる為に 此処を選んだのだろう。
親子連れで楽しむ家族 愛犬と共に 笑いさざめく飼い主と愛犬。。。
何もかもが 優しく暖かだった。
そして 何よりも それが生きていくという事の 自然の姿の様な気がしていた。



木陰を見つけ持参したシートを広げ 腰を下ろした二人は 暫く無言の儘 風と鳥達の囀り そして 穏やかな風景を見つめていた。
バスケットから 伯母特製のサンドイッチとジュースを食しながらも 二人は 最小限度の言葉を交わす以外 静かな時間が 互いの想いを包んでいた。
そして 陽子が 静かに 明子を見つめ 語り始めた。
その言葉は 明子にとって 衝撃的なもので有ったが 静かに瞳を閉じ 一言一言を 心に刻み込む様に 黙って陽子の言葉を聴き続けていた。



気がつかぬ間に 明子の閉じられた瞳から 溢れる涙を 陽子も涙ぐみながらそっと 見つめていた。

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             『凍えた月を見つめて』 小説 (14)
by deracine_anjo | 2005-10-12 17:41 | 『凍えた月を見つめて』 小説

何とか 切迫流産の危機から脱した明子は一般病棟に入り 数日を過ごしていた。
心の中で もしこの子の命を失ってしまっていたら 拓哉に申し訳ない・・・そんな事を考えながら 窓から見える木々達や鳥達を見つめていた。
毎日見舞いに来てくれる伯母の陽子も 何か考えているような様子だ。
拓哉に心配を掛けたく無い為に 伯母に拓哉へのメールは頼んであるが プリントアウトされて持って来てくれる拓哉のメールも 少し 不自然な感じが 何故か明子の心を 不安にさせていた。
私は 間違っていたのだろうか。。。
心の何処かで 輝く拓哉に対して 自分自身が無い様な劣等感を 感じ始めて この道を選んだ筈なのに 間違っていたのだろうか。。。
拓哉の心に甘えた罰が この様な状況に成ってしまったのだろうか。
体力は順調に回復していくのに 心が始めて 立ち止まってしまった明子だった。



いつの間にか眠って仕舞った拓哉は 窓から差し込む日差しで目覚めた。
時計を見れば 昼を概に過ぎている。
一日 考える時間を与えられてた事をボンヤリ思い出しながら のろのろと起き上がり 取り合えずシャワーを浴びようと ふらつく足取りで 浴室に向かった。
頭から 熱めのシャワーを浴びながら 拓哉は始めて 嗚咽を上げて 泣いていた。
思わず拳を握り締め 浴室のタイルを殴りそうになった心を 必死で抑えながら いつまでも 止まらぬ涙で 心は 張り裂けそうだった。
『明子。。。』
搾り出す様に 明子の名前を叫んでいる自分に気付く事も無く いつまでも シャワーを浴び続けていた。 



くも膜下出血の患者の手術を無事終えた美鈴は 成功の安堵感とは別に 昨夜の拓哉の痛みに 美鈴なりに 心を痛めていた。
もう 脳神経外科のスタッフの人間は 大体の事を 誰の口から聞いたのか 知っている様子だ。
同情心 憐れみの空気の中 明日 拓哉がこの場に来る事を想像しただけで 不覚にも涙ぐんでしまう美鈴だった。
『完璧なオペだったな。お疲れ様!』
肩をポンと外科部長に肩を叩かれ  『ありがとうございます。』と 答えながらも 真正面から 外科部長の顔を見る事も出来ず 思わず 顔を洗い始める美鈴の背中が 拓哉への想いを抱えて泣いていた。



それぞれの想いを知らぬ様に 真昼の月が浮かび 空は哀しいほどに 青かった。

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              『凍えた月を見つめて』 小説 (13)
by deracine_anjo | 2005-10-06 16:33 | 『凍えた月を見つめて』 小説