『名も無き 雑草。・・そして 此処に おります♪』 


by deracine_anjo
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カテゴリ:『紅涙』 短編小説( 10 )

お通夜は 兄貴の仕事上の関係もあって ザワザワと人の出入りがあったが それも一段落し 親戚も1人 又1人と自宅に帰り 兄貴の家族と俺達家族だけでの静かな夜がやって来た。
子供達もいい加減疲れたであろうからと 別室で寝かせ兄貴夫婦と俺達夫婦で 傍らで穏やかに眠っているかのような母を見詰めながら時を過ごしていた。
兄も疲れていたのだろう。つい酒の力もあって ポロリと余計な事を口走った。
その途端 俺の神経は音がしたのではないかと思うくらいの勢いで 切れた。
『お袋には可哀想な事をしたが あれ以上ボケてホームにでも入れて 俺達の事が全然判らなくなる前に 逝けてよかったよ。』
その瞬間 俺は兄貴の襟首を掴んで 思い切り殴り倒していた。
『貴方 お母様の前で何てこと為さるの!!』
まだ 気が治まらない俺の顔を恵美は平手で殴り 
『お兄様 恭介さんを許してくださいね。でも 私達は最期まで お母様のの面倒を見させて頂くつもりでした。それなのに こんな事になってしまって 本当に申し訳ありませんでした。』
『恵美!』
『貴方は 少し頭を冷やしてください!お兄様だって お辛いのですよ。貴方だけが お辛いんじゃありません。ましてや お母様の前で 恥ずかしいとは 思わないのですか。』
初めて見せた恵美の気迫に 俺達は唖然としながらも 少しづつ冷静さを取り戻していった。
『恭介 俺の不謹慎な言い方 すまなかった。』
『いや 俺こそ ぶつけ様の無い怒りを 兄貴にぶつけたんだ。すまなかった。お義姉さん すみませんでした。みっともない所を お見せいたしまして。兄貴の顔 氷か何かで冷やして遣ってくださいませんか?明日 痣になるといけませんので・・・』
『あっ・・・はい、わかりました。』



翌日 滞りなく葬儀も終わり 小さくなった母を実家に連れ帰り暫く人との応対に振り回され続けた。そして それも一段落した所で 取り敢えず俺達は 帰宅する事にした。
入院している恭哉にも 逢いに行かなければならない。
『兄貴 今日はこれで お暇する事にするよ。恭哉の病院にも行かなければ成らないから。』
『ああ 俺達も 近いうちに見舞いに行かせて貰うよ。お疲れ様だったな。恵美さん 本当にありがとうございました。』
『いえ 本当に恭哉をお母様が救って下さって ありがとうございました。唯 まだまだ 御一緒に暮らしていけなくなったのが 残念で 申し訳なくて・・・・』
それ以上は 言葉にならず 恵美は泣き崩れてしまい 俺は眠りこけている愛美を抱いて そっと恵美の背中を支える様に 車に乗せ恭哉の病院へと車を走らせた。
恭哉は 俺達の顔を見た途端
『ごめんなさい。ごめんなさい。僕の所為で おばあちゃんが・・・おばあちゃんが・・・・』
俺は泣き崩れる恭哉を抱きしめ
『おばあちゃんは 恭哉が可愛くて仕方ないから 一生懸命 助けてくれたんだ。恭哉は何も悪くない。ただ おばあちゃんが 折角助けてくれたんだから 早く元気になって おばあちゃんを安心させてあげような!判ったか?』
ここにも 小さな心を痛めている人間がいる。
母は 俺達に 大切な事を色んな形で残してくれたんだ。
振り返ると 恵美も愛美も静かに泣いていた。



初七日 四十九日・・・と静かに時は流れていった。
そんなある夜 恵美が帰宅して間も無く立った頃 手紙を俺に渡してきた。
『今日 お部屋を片付けていましたら 引き出しの中にこれが・・・』
それは 遺言状と俺に宛てた手紙だった。
『私にも一通 残しておいて下さいました。それは 後でお見せします。取り敢えずこちらを・・』俺は急いで 俺宛の手紙の封を切った。




『恭介様

この手紙は 貴方の家に行く事が決まって まだ 頭が全てボケない内に 少しづつ書き溜めておこうと思い立って 書き始めた手紙です。
この度は お世話になる事を許してくださいね。
年を重ねると言うことは 哀しいものです。足腰が弱くなるだけでなく 私は老人性痴呆症に掛かってしまった為 皆のお荷物になってしまいました。
お父さんの様に あっという間に逝く事が出来ず とても 残念でなりません。
どうぞ 手に余るようになりましたら 一日も早く私を何処かのホームに入れてくださいね。
御願いしますね。            5月2日



今日は 貴方の家に来て2日目。とても穏やかな小春日和です。
私は恭介 貴方と 恵美さんに謝らなければなりません。
貴方方が結婚すると言った時 私は 貴方に酷い事を 沢山言ってしまいました。
幾ら保母とはいえ キチンとした家庭で育っていない娘さんなんかと結婚は許さない・・・なんて。でも この2日間の間でも 私は 自分が恥ずかしくて成りません。
恵美さんは 立派なご両親の間に生まれた立派な娘さんでした。醜い心を持っていたのは私でした。恵美さんは 本当に私の事を 大事にしてくれています。ありがたい想いで 一杯なのです。とても 今 幸せですよ。                 
                                5月24日



恵美さんって とても面白い人なの。
私が粗相をしてしまって 新しい下着を着替える時に少し駄々をこねたの。こんな物は嫌だと。そうすると 恵美さん 自分で履いてみて謝るの。何故だと思う?
サイズが合っていないのに これでは気持ち悪くて 自分でも履きたくない・・・って。今まで気が付かなくてすみません・・・って 泣き出しちゃったの。      5月28日



恭介 貴方 外に女の人がいるの?今日 恵美さんがお台所で泣いているのを見つけて問いただしたら もう何年も前からいるようだ・・・・って。
恵美さんを傷付ける様な事をしたら 私が許しませんよ。私も若い時 お父さんには散々 泣かされてきましたからね。早く その女の人とは 手を切るのよ。    6月5日
                        ・
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                        ・



こうして 亡くなる直前まで 母は自分に戻った時に 母として俺にこうして手紙を書き残してくれていた。



俺は 一瞬 母の姿を見た気がした。
そして・・・・・『紅涙』と言う言葉を 思い浮かべた。
『美しい女性の涙』・・・・母は優しく穏やかな微笑を浮かべながら・・・・・静かに 涙している姿だった・・・・・。
そして 振り向くと 母の様に涼やかな瞳から 『紅涙』を流し 俺を見つめる 恵美が佇んでいた。


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            『紅涙』 短編小説 最終章 『手紙』



                     完






。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


 ☆ あとがき ☆


 此の度は この様な形で 完結させましたが これから この家族の絆が
 
 『母からの手紙』によって 一段と強いものになることを 心から祈りつつ

 書き終える事に 致しました。
                             
                             by  deracine_anjo
by deracine_anjo | 2005-02-07 18:53 | 『紅涙』 短編小説

母との奇妙な生活も 気が付けば1ヶ月を有に越していた。
恵美も子供達も この生活に随分慣れてきたようで 兄貴の家とは 少しばかり雰囲気が違っていた。といっても 俺は昼間は仕事で出かけ 夜は夜で 接待だ何だと遅く帰る日々が 相変わらず続いているので 本当の所は まるで分からない。
ただ 偶々 早く帰宅しても 子供達にとっては おばあちゃんと一緒に暮らしている・・・時々おかしな事を始める時があるけれど 優しいおばあちゃん。
恵美にしたら 自分の親に出来なかった事を 今出来る・・・ただ それだけの事・・・
何だか俺1人が 下手をすると のけ者にされている疎外感を感じる位だった。
ある日の夕食時 偶々 俺も早く帰宅し 皆と一緒にテーブルに付いた。
『頂きます』・・・と言った瞬間 母は又しても 手掴みで食べ始めた。
『お袋 止めろよ!!』俺は お袋の手を 掴んだ。
すると 恵美は 『お母さん 手で食べると美味しいですか?私も試してみようかしら?』
『僕も!』『あたしも!』
『何言っているんだ!!ふざけるのもいい加減にしろ!恭哉、愛美、止めなさい!!』
俺は一段と1人で 怒り 恵美を睨み付けたが 恵美は 我関せずで母と同じ様に手掴みで食事を続け 子供達も同じ様に 手で食べている。
堪忍袋の尾が切れようとしたその瞬間
『お母さん 何だか 手がベトベトして気持ちが 悪くありません?』
『うん、僕 お箸で食べた方がいいや。』『あたしも』
『私も お箸の方が食べやすいですね。』
『では チョッと 待っていてください。』・・・・そう言って フィンガーボールではないが 食器に水を入れ テーブルに持って来て 『これで 手を洗ってください。タオルはこちらです。』
もう1つの食器を 子供立ちの前に置き 同じ様に手を洗うように告げ タオルを手渡す。
そして 何事も無かった様に 食事は普通に進み始める。
子供達には 
『外国では 手で食べるお食事もあるから こうやってテーブルの前に 手を洗うボールが置いてあったりするのよ。フィンガーボール・・・・って言うのだけれど 余り 日本では手で食べたりするお料理は 無いわね~~~。お鮨屋さんなんかで 手で食べる人はいるけれどね。』



結局 俺の怒りは 空振りに終わってしまった格好の儘 勝手な言い方だが 恵美がボケた母親を上手く手懐けた様な感覚に襲われ 自分の息子の言う事に耳を貸さない・・・・下手をすると俺の事が判らない母親に対しても 苛立ちを覚えていた。
『感謝』と言う感覚が 抜け落ちていた。
今 思い出すと 情けない男だった。けれど恵美は いつもと変わらず そんな俺の事も 黙って見つめていた。いや・・・淋しさを感じていただろうが 決して顔に出さない女だった。
ある夜 俺は久し振りに 女に電話を掛けた。いつもの様に 何度目かのコールの後 気だるいハスキーな声で 女が電話に出た。
『これから 逢いたいんだが 構わないだろうか?』
『ええ 構わなくてよ。あっ ワインが無いので 買って来てくださる?』
『ああ 判った。じゃあ 後で・・・』
俺は無性に女を抱きたかった。自分でも判らない苛立ちを持て余し 女を抱く事で 忘れたかった。
いつもの様に チャイムを鳴らす前にドアは静かに開き 女は俺を部屋に招きいれた。
ドアを閉めた途端 俺は女を抱きしめ 甘い香水の香りと柔らかい乳房を貪る様に求めた。
しかしスルリと軽やかに俺の腕の中から抜け出し 女は 微笑みながら 俺を部屋へと導いた。
ワインを開けながら 女は
『今日はどうしたの?仕事が上手く行かなかったの?』
俺にグラスを渡しながら 煙草に火をつけ ふ~っと煙を吐いた。
『いや 別に仕事の事ではないんだ。唯 この前から 母を引き取ったんだ。少しボケ始めている母を 兄貴夫婦が持て余して お鉢がこっちに回ってきた。』
『それで 上手く行かないの・・・やっぱり。』
『いや それも逆で 何だか俺だけが のけ者状態で 何だか・・・・』
最後まで言い終わらない内に 女は 俺に
『私達 これで 終わりにしましょう。私 『奥様でございます』 みたいな顔をして ふんぞり返ってる妻の夫を 奪うのは嫌いじゃないけど 今の貴方の様な 男とも 寝る気はないの。
ワイン 御馳走様。お帰りになって。』



それからも それ程大きな問題も無く 日々は過ぎていった。
母のボケの進行も 医者曰く 緩やかなままで状態的には良いという診断だった。
本来なら恵美に感謝の言葉を掛けなければ成らない俺は 何故か素直に成れなかった。そして・・・・その日も 病院の帰りに 穏やかな食事を外でして さて 帰ろうと 車に乗り込もうとした時 駐車場から猛スピードで外の道路に出て行こうとした車が一台 走ってきた。ホンの一瞬の出来事だった。運転席に乗り込もうとしていた俺がその音に気が付いて 後部座席に乗り込もうとしていた恭哉が『危ない!』と思った瞬間
『恭介 危ない!!』
母が恭哉を突き飛ばした。次の瞬間 母の身体は 宙を舞い 鈍い音と共に 地面に落ちた。そして 俺の車に突っ込んで 相手の車は停まった。



恭哉は母に突き飛ばされた時の腕の骨折だけで怪我は済んだが・・・・・
母は 殆んど『即死』 だった。
母は 俺を助けてくれて 死んだ。
何一つ 親孝行らしい事もしなかった俺をかばって・・・・。

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           『紅涙』 短編小説 (9) 『別れ』
by deracine_anjo | 2005-02-06 18:50 | 『紅涙』 短編小説

母を迎え入れた日は 晴天に恵まれ 母自身の人間形成も到って普通だった。
俺達の事は勿論 恭哉と愛美の事も キチンと分かっていて とても機嫌よく我が家に溶け込んでくれた。食事も 手掴みで食べる様な事などせず 穏やかな食事風景だった。
しかし 後片付けを恵美が始めた頃 突然 母は立ち上がり
『家に帰らなきゃあ』・・・・と言い始めたのである。
母を椅子に座らせ 『お母さんの家は 今日から ここなんですよ。』そういう 俺を見つめ
『貴方 どなたですか?』
側で見ていた子供達は 一瞬 怖がりはしたが 恵美から 教わってい通り 静かに自分達の部屋に入って行った。
『お母さん 貴方の息子ですよ。僕は。恭介ですよ。』
俺の言葉も終わらない内に 母は徐に立ち上がり玄関へと向かった。
母の手を掴もうとした瞬間 恵美がその腕を捕まえて 俺に頷いた。
手には 母のコートを持っている。そのまま 恵美は 玄関へと向かった。
ドアが閉まる音がした。崩れる様に 俺は椅子に腰を下ろした。
(一日目から こんな風になるなんて。こんな事が いつまで続くんだ!!)生ぬるくなったビールを一気に飲み干した。



一時間たっても 二時間たっても 二人は帰って来ない。
俺の神経もそろそろ限界点に達しそうに成った頃 穏やかな笑い声と共に 二人は戻ってきた。ドアが開いた途端 恭哉と愛美は部屋から出てきて
『おばあちゃん お帰りなさい!!』と 屈託のない声で 母を迎えていた。
母も玄関先で 『ただいま。』と 答えている。
リビングのドアが開いて 母と恵美の姿を見た途端 一瞬怒りににも似た感情と安堵とで 俺は 言葉を掛けるタイミングを外してしまった。
『お母様 歩き疲れましたね。椅子に座ってください。今 暖かいお茶をお持ちしますから・・・』
『はい 御願いしますね。本当に いい人に逢えてよかったわね。』
『お母様が そのカードを持っていて下さったお陰ですわ。』
『そうね。これ便利ね~~』
『恭介もこれ持っていると 迷子に成った時 助けてもらえるわよ。』
母が俺に見せたカードは チェーンを着けた透明のカードケースだった。
名前と住所と電話番号に携帯の番号 裏には 年齢と病歴等などが 書かれてあり 赤い文字で『御願いします。』と大きく書かれている物だった。
『熱いですから 火傷しないようにして下さいね。貴方もお飲みになります?』
恵美は何事も無かった様に 穏やかに 俺にも尋ねた。
『ああ・・・・』俺は 何があったのか 聴きたいのをグッと我慢した。
『もう 私は疲れたので 寝ることにしますね。』そう言って立ち上がった母について 恵美は母と共に 消えた。



暫くして 恵美がリビングに戻ってきた。
『お疲れになったらしくて お薬を飲んで 数分でお休みになりました。』
『一体 何があったんだ。説明してくれ!』
俺は少し苛立って 恵美を責める様な口調になっていた。
『すまない。恵美が悪い訳でもないのに・・・・』
『いいえ 途中 何度か連絡しようかと思ったのですが タイミングを外してしまって・・・ご心配をお掛けしました。おビール抜きます?』
『ああ・・・頼むよ』
『では チョッと飲んで待っていらしてね。私は子供たちの所に 行ってきますから。』
そうだ この2時間 俺は 自分だけイライラしていたけれど 恭哉達だって 子供なりに 脅えていた筈なのに その事を思いやることも出来なかった。
(なんて親なんだ 俺は!!)
暫くして戻ってきた恵美は 
『今日は 二人でお風呂に入って チャンとシャンプーも出来たと 威張ってました。子供達は大丈夫です。もう 休みました。』
『君も飲めば?』
『では 少し頂きます。』
『驚きましたわね・・・・心の準備は出来ていたつもりでも 実際 あのような行動に出られると・・・』
『でも 君は 落ち着いていたじゃないか。』
『いえ・・・・とんでもないわ。ドキドキしてました。で・・・・とりあえず 後ろから 付いて行ったんです。そして 困った様子でキョトキョトし始めたので お声を掛けたんです。勿論 私の事も分かっていませんでした。それで どうしたんですか?ってお尋ねしたら 道に迷ってしまって家に帰れないと仰るので では 一緒に探しましょう・・・と言って あちこち歩いたんです。そして 初めて気が付いた様に 首に掛けているカードを 見せて下さいと御願いしたら 見せて下さったので 側に居る方に この家は どちらの方向ですかと御聞きして・・・・。』
『君まで 迷ったのかい?』
『いいえ・・・この近所ですから。』
『で お母様に 親切な方が 教えてくれましたよ・・・・と言って 家に帰って来るまでに 色んな世間話をしている内に 思い出して下さっただけの事なのです。私は 何もしてません。』 



確かに担当医の説明でも 母の痴呆はまだ軽度のものだと言っていたが・・・・これからゆっくりではあっても 坂道を転げ落ちる様に 性格も人格も 壊れていくはずだ。
俺に 恵美の様な付き合い方が 果たして出来るのだろうか・・・・。
いや 恵美自身だって 耐えられるのだろうか・・・・。
俺の心は 深い海へと 引きずり込まれていくような 恐怖感を覚えた。

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        『紅涙』 短編小説 (8) 『不可解な行動』
by deracine_anjo | 2005-02-05 18:58 | 『紅涙』 短編小説
翌日から 恵美は 母を受け入れる為の準備に早速取り掛かり始めた。
我が家は多少広めの3LDKのマンションで バリアフリーに関してもそれなりに対応していたので 差し当たっては 6畳の和室を母に使って貰う事にして 荷物は最小限運び込む事で兄貴達には納得してもらった。
そして 恵美は子供達に童話を聞かせる様に 暇を見つけては 母の話をして 子供達なりに理解出来るように 分かりやすい言葉で何度も何度も 話し聞かせ続けていた。
それとは別に ネットで調べたり 本屋に足を運んで 『介護』や『食事』等の本を購入してきたり 最後には心理学の本まで買って来て 夜遅くまで勉強していた。
ある夜 俺は恵美に尋ねてみた。
『恵美 本当にお袋を此処に呼んで構わないのか?兄貴達の生活を見ると もう何だか疲れ果てギスギスした家庭になっていたぞ。』
振り向いた恵美の瞳には 涙が光っていた。
そして その涙を拭おうともせず 俺の側に来て 俺が腰掛けている椅子の前に座り 1つ深い深呼吸をしてから 語り始めた。



『私達が結婚した時の事を覚えていらっしゃいます?猛反対を受けました。当然です。私には身寄りが居なかったのですから。いえ 正確には 両親が居なかったのです。まだ あの事故が起きた頃は 丁度 あの子達くらいの年齢でした。遊び疲れて後部座席で眠っていた為に助かったのですから 何故 あのような事になってしまったのかすら 何一つ理解できませんでした。唯 周りの大人の人の話から 箱根の七曲の道で大きくはみ出した対向車と正面衝突をして 両親は殆んど即死だったという事でした。
白い包帯でグルグル巻きにされた両親を目の前にしても 私には 『死』という事も 余り理解できませんでした。唯 冷たい肌に触れ 声を幾ら掛けても 答えてくれない 抱きしめてくれない両親・・・・私は 泣く事も出来ませんでした。』
此処まで話して ふっと 小さな息を吐いた。
『ココロが ついていけなかったのです。笑う事も泣く事も出来ない子供になりました。
一時期 心に傷を持った子供が入る施設に居た事もあります。それから 転々と親戚をたらい回しにされました。誰も 憎んではいません。家庭には それぞれの事情があるのですから。それでも 何とか 慰謝料もあった事で 高校までは親戚の家で暮らし 私は1人上京をして 働きながら保母の資格を取り あの保育園就職したのです。そして あの院長先生にお逢いした事で 私は始めて 心の雪解けを感じました。他の先生方も素晴らしい方達ばかりでした。そして・・・・子供達が 私の心を癒してくれたのです。』



俺は今まで 恵美が背負ってきた過去については余り多くを聴いた事はなかった。
俺も椅子から降り 真正面に恵美を見つめながら 恵美の言葉の一つ一つを キチンと受け止めようと もしかしたら結婚以来初めてかもしれない気持ちで 次の言葉を待った。
『私は始めて あの場所で生まれ変わったような気がしました。園長先生は 私に『母親だと思ってくださいね。』とまで 仰ってくださいました。ですから 貴方のご両親に 結婚を猛反対された時 私には 『母親が二人居るのだから』・・・・そう思って いつか 許して頂けると 信じていました。
おかしいでしょ。
そして 結婚をしてからは 私には 母が 三人になったと 心底嬉しかったのですよ。でも 出来ない事が 1つ在りました。
一緒に暮らして頂けない事でした。結婚当初からすれば お父様もお母様も とても私を可愛がって下さる様になって 愛美が生まれた時も 本当に喜んでくださいました。
お父様が亡くなられた時 肉親との別れが あれ程哀しく 身を引き千切られるほどの痛みなのだと 初めて知りました。
こういう言い方は 失礼だと重々承知していますが 私は お母様のお世話をさせて頂く事で初めて 私自身が本当の親になり 人間に成れるような気がしているのです。
行き届かない点が 沢山在ると思いますが 私にお母様の面倒を看させて下さい。御願いします。』



俺は 深々と朱美に頭を下げた。
涙を 見られたくはなかった・・・・・。


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            『紅涙』 短編小説 (7) 『転居』
by deracine_anjo | 2005-02-04 17:57 | 『紅涙』 短編小説
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バイヤーとの 話もそこそこに切り上げて 俺は一瞬 夜の街に紛れ込みたい気持ちを感じたが 今朝出掛けに
『もし お仕事のお話が早く済むようでしたら 早めにお帰りくださいませんか?子供達と今日の発表会のお祝いをしますので。』
恵美から言われた言葉が 心に残っていて 俺は家路を急いだ。
正直 子供達は可愛いが どうも 昔から 世間の父親の様な事が下手な気がする。
自分自身が 厳しく育てられた所為なのかもしれない。
けれど 恵美は逆に子供の頃して貰えなかった事を 出来るだけしてやりたいという 自分の心を埋める様に 子供と接していた。
単に甘いだけの母親でもなかった。兎に角 精一杯 体当たりで子供達と接していた。
世間で言う『子供によって親も育てられる』・・・そんな感じだった。
だから 俺は安心して 仕事に没頭も出来た。
しかし・・・・痴呆の母を引き取るという話を 恵美がどう受け取るだろうか。
そして俺の家庭は 今日見てきた兄貴達の家族の様に 疲れ果て 刺々しくなり 挙句に施設に預ける・・・という選択をすることになるのだろうか・・・・。
もう少しで 俺は 自宅を通り過ぎる所だった。 




インターフォンを押すと 俺の顔を確かめた 恭哉と愛美が競う様に玄関から飛び出してきた。
『パパ お帰りなさい。』『パパ お帰りなさい。』まるで 鸚鵡返しだ。
『ただいま。もう パーテイーは終わっちゃったかな?』
『ううん。お腹ぺこぺこだけど ママが もう少し待ってみましょう・・・って言ったから まだだよ。』『そう ママが もう直ぐ パパ帰ってきてくれるからって言ったの 当たったね。』
『そうか 遅くなってごめんな。でも 間に合ってよかった。さあ 中に入ろう。』
二人の後ろには 嬉しそうに優しく微笑む恵美が 静かに佇んでいた。
『あなた お帰りなさい、お疲れ様でした。』
リビングに駆け出してゆく子供達を『走ってはダメよ』と 言いながら 俺にスリッパを差し出しながら
『今日はご無理ばかり言いまして すみませんでした。ありがとうございます。』
そっと 恵美を抱きしめ KISSで言葉を塞ぎ
『俺達は夫婦で 二人は 俺達の大切な子供だ。いつも 恵美ばかりに まかせっきりですまないな。』
細くくびれたウエストに手を添えながら リビングに向かった。



子供達は お風呂に入っていつもなら テレビを見始めるのだが やはり疲れているのか
『おやすみなさい パパ ママ。』そういい残すと 自分達で子供部屋に戻って行った。
恵美は一応 二人について子供部屋に行ったが 直ぐ戻ってきて ニコニコしながら
『ベットに入った途端 寝ちゃったわ。よっぽど 緊張したし パパが一緒にお祝いしてくれた事も嬉しかったのね。』
『ああ お祝いのプレゼント 用意していてくれてありがとう。ダメだな俺は!!』
『これが 私の仕事です。貴方は 私達を守ってくれていますもの それで 充分なんです。それより 何か まだ お飲みになります?』
『ああ 自分で作るよ。恵美は?』
『では 久し振りに 貴方のカクテルを御願いしてもいいかしら?』
『かしこまりました マダム。』
こんな 穏やかな夜に 今日の事を話すのは躊躇われた。
このまま 恵美を抱いて 何も考えずに眠りたかった。
けれど 恵美には隠し立ては出来なかった。
俺が久し振りに作ったカクテルを一口 口に含んだ途端 静かな瞳で
『何か心配事ですか?正直に私には 仰ってください。何を聴いても 大丈夫です。』
やはり ボンヤリしていたんだろう・・・俺が作ったカクテルは 酷い味だった。
『作り直すよ。』そういい掛けて 立ち上がろうとした俺の手を握り
『お帰りになった時 貴方が 私にkissをしてくださったでしょ。その時に 貴方の心の痛みが 私に届いたんです。夫婦なら 乗り越えられますでしょ。』
俺は不覚にも 涙が零れそうになるのを 恵美を抱きしめる事で 辛うじて誤魔化したつもりだったが 恵美の細い首筋を 俺の涙が 幾筋も 幾筋も・・・・・濡らしていた。




そして 数時間 俺は 今日の出来事を 恵美に包み隠さず話した。
恵美は 俺の一言 一言を聞き漏らすまいとでもするかの様に 唯 黙って 静かに俺の話を聞き続けていた。




長い一日だった・・・・・。
そして・・・・・。




               『紅涙』 短編小説 (6)  『家路』
by deracine_anjo | 2005-02-04 02:02 | 『紅涙』 短編小説

着替えかけていた上着を もう少し明るめのジャケットに変えようとしていた所に 勢い良くドアが開いて 恭哉と愛美が飛び込んできた。
『パパ 発表会に来てくれるの?』『愛美 上手になったのよ。』『僕だって!!』
両腕に二人を抱きかかえると いつの間にこんなに重くなったんだ・・・と思う位 俺は 子供達の成長を 恵美1人に 任せて居たんだと つくづく思い知った。
『ああ・・・チャンと ビデオに撮るから 頑張れよ!!』
重さに耐えかねて そっと二人を床に下ろし 頭を撫でて 
『そろそろ 出掛ける準備をしなさい。ママの 準備は出来てるのかな?』
『うん。何だか とっても嬉しそうで 綺麗だよ。』
『お姫様みたいよ。パパ ビックリしちゃうかも・・・うふふ。』
年下ながらも 女の子の方が やはり 一枚上手のようだ。
開け放たれたドアを静かにノックして 恵美が入ってきた。
『ご用意 出来ましたかしたら?』
派手な服装をしている訳でもない。派手な化粧を施している訳でもない。
けれど 愛美が言った様に シットリとした美しさを醸し出していた。
まだ 30だというのに これ程までに 穏やかで暖かさのある女を 妻にしながら 俺は時として他の女の 奔放さにのめり込む。
男とは なんと 愚かな動物だろう。
『どうか なさいました?』
恵美の言葉に 我に返り 微笑みながら
『君の美しさに ぼーっとしてしまったようだ。さて 出掛け様か。』




無事 二人の演奏を聴いた後 恵美にそっと目配せをして 俺は会場を後にした。
親バカではないが 同年齢の子供達より数段 二人は落ち着いて演奏が出来た。それに 腕も確かだ。何せ ピアノ教室以外に個人レッスンを恵美から受けているのだからな。
そんな事を想いながらも これから待ち受けている現実と直面するには なんと 穏やかな日曜日なのだろう。
俺はこのまま 学生時代の様に お気に入りの海まで車を走らせたくなるのをグっと我慢して 兄貴の家に向かった。
丁度お昼を少し回った位には 到着した。
家の少し手前で車を一旦止め 一本煙草に火をつけた。
そして 携帯から電話を入れ 電話に出た兄貴に
『今 家の近くだが 車は何処に停めればいいかな?』
『ああ 家の前に 停めていて構わないから・・・お袋が首を永くして待ってる。』
『分かった。直ぐ 伺うよ。』
俺は エンジンを再度掛け 兄貴の家の前で 車を停め 玄関先に立った。
その音を聴きつけ 一番最初に出てきたのは 母だった。




久し振りに逢う母は これと言って 何がどうという感じでもない。
穏やかに微笑み俺の手を引いて 家の中へと先導してくれる。
少々照れくさいが 成すがままにしておいた。
少し疲れた様な義姉が 兄が 玄関で 待っていた。
生まれ育った家は もう 俺の帰る場所ではない。しっかり 兄貴夫婦の家庭だ。
『ご無沙汰していて申し訳ありませんでした。』
『いえ それは こちらも同じ事ですわ。どうそ お上がり下さい』
(人間には 相手がいい人間 悪い人間に関わらず どうしても上手く付き合っていけない人間が居る。残念な事に 義姉は 俺にとっては 苦手なタイプだった。)
母はまだ 俺と手を繋いだまま 居間へと先導してくれる。
テーブルには 義姉が用意してくれていたのであろう料理が 所狭しと並べられていた。
『車だから余り勧められんが ビールを少し位なら いいだろう。』
漸く俺の手を離した母は もう 食事を食べ始めていた。
義姉はそっと 首元と膝にタオルを置き 俺は 暫く 母を見詰めていた。
あれだけ躾けに厳しかった母は 手でわしづかみに 食べ物を口の中に頬張ってみたり・・・・ボロボロと零してみたり。
それでも 気が付くと
『恭介 ちゃんとしっかり 食べなさいよ。』
飲み干した ビールが 今迄飲んだどの酒より・・・・・・苦かった。





これから 直面する俺の現実なのだ。
改めて ココロに 呟いた。


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             『紅涙』  短編小説 (5) 『発表会』
by deracine_anjo | 2005-02-03 05:05 | 『紅涙』 短編小説
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翌日 兄貴から 侘びの電話が改めて入ったが 俺は
『何も気にしていないから・・・唯 近いうちに 一度 兄貴の所に行きたいのだけれど。』と 申し出た。
『じゃあ 今度の日曜日はどうだ?』
『チョッと待ってくれ。夕方 バイヤーと逢う約束が1つあるが 大丈夫だ。恵美は連れて行かないほうがいいか?』
『ああ 申し訳ないが 今回は お前だけで来てくれ。昼の用意をして待っているから。』
『分かった。じゃあ 日曜日に。』
勝手なものだ!!結局は 女房に押し付けて 自分は仕事だと逃げているくせに やはり 他人には 見せたくないのが心情。
けれど そんな訳には行かない現実から 兄貴は直ぐに 逃げようとする。
昔からだ。



俺と恵美は再婚だ。
丁度仕事が軌道に乗り始めた頃 元女房は急激に金使いが荒くなり 挙句の果てに男を作った。その時点で 俺は何の未練も無く 適当な手切れ金を渡して離婚した。恭哉は前妻の子供だ。
そして その時に 恭哉を預けていた保育園に居たのが恵美。
仕事は忙しくなる一方。恭哉にまで手が回らない。いつも迎えに行くのが どの園児より いちばん遅くなる。その恭哉に最後まで付き合っていてくれていたのが恵美だった。
申し訳なさもあって 一度 恵美にもう少し遅くまで預かってくれる所を探そうかと想っていると言った所 珍しく
『立ち言った事を申し上げる様で お怒りに成らないで下さい。恭哉くんは
幼いながらも 今の自分の境遇を一生懸命 受け入れ様としています。
その上 又 新しい環境に置かれる事は 子供にとっては とても辛い事なのです。お父様も大変でしょうが もう少し頑張ってみてください。私も微力ながら お手伝い致しますので。』
物静かな大人しい恵美から言われた言葉に その時は驚いたが その言葉は恵美が辿ってきた人生そのものだったのだと 結婚して分かった。
待ちくたびれて眠っている恭哉を車に乗せ 改めて恵美に
『お言葉 ありがとうございました。もう少し 頑張ってみます。そして先生のお言葉にも 甘えさせて頂きます。』
頭を深々と下げる俺に 恵美は 
『辻井さん やめて下さい。こちらこそ 生意気な事を申し上げて すみませんでした。お疲れ様でした。』
久し振りに こんな穏やかな言葉を聞いたような気がした。



日曜日 出掛ける用意をしていると 静かにドアがノックされた。
『ああ・・』
静かに恵美が部屋に入ってきて
『今日は 恭哉達のピアノの発表会なんですけれど お忘れでしたか?』
『しまった!!そうだったな!!すまん!!バイヤーと逢う約束に頭が一杯で 忘れてしまっていた。何時からなんだ?』
『10時からですけれど・・・・恭哉も愛美も早い出番なんですが。』
『分かった。ギリギリまで 居るよ。』
『ありがとうございす。二人とも喜びます。』
部屋を出て行ったのを見計らって 携帯で兄貴に電話を掛けた。
『もしもし・・・辻井ですが』
『あっ 兄貴。俺だ。今日 子供達のピアノの発表会の事をコロッと忘れていた。少し遅れるが 構わないか?』
『ああ 構わん。待っているから。それじゃあ。』



俺の家族 兄貴が作った家族 俺の作った家族。
何処の家とも 対して変わりの無い平凡な家族。
そして・・・誰しもが 抱える可能性のある現実に 俺は 直面しただけの事だ・・・窓の外を見ながら 自分にそう 呟いていた。


               『紅涙』 短編小説 (4) 『家族』
by deracine_anjo | 2005-02-02 13:59 | 『紅涙』 短編小説
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数回のコールの後 もう切ろうとした瞬間 女は気だるいハスキーな声で 電話に出た。
『俺だけど 今から行っても構わないか?』
含み笑いが聴こえた後 『私は構わないけど 貴方は平気なの?もう 随分飲んでいるんでしょ。』
『これから タクシーで直ぐに行く。』
それだけ言うと 携帯を切った。
女は銀座で小さいながらも洒落たBARを遣っていた。殆んどの客はママ目当てだが 使っている女の子も キチンと教育されたホステスで 仕事の関係で連れて行かれたのが切っ掛けだったが いつしか 俺の隠れ家の様な店になっていた。
パトロンが居るのか居ないのか分からぬまま 女と関係を持って もう3年になる。
お互い何も聞かない 何も束縛しない・・・・今夜の様に突然俺が電話して 嫌な時は ハッキリと断る。女の家に 泊まった事もない。
けれど 別れられないまま 3年が過ぎた。



女の部屋に着き インターフォンを鳴らす前に 静かにドアが開いた。
窓からでもタクシーが停まったのを見ていたのだろう。
『お久し振りね。お元気だった?』
『ああ なんとかね。悪いが 取り合えず ビールを貰えないか?』
女は帰宅後 もう風呂に入り化粧も落とし ゆったりとくつろいでいたのだろうが 俺の訪問の為に 薄っすらと化粧を施し テーブルには 簡単なつまみまで用意してくれていた。
いつも女の部屋に来ると これが水商売の女の部屋なのかと思う位 シンプルで尚且つ機能的 ごみ一つ落ちていない清潔感。
妻の恵美とは違ったくつろぎを与えてくれる空間・・・に 俺はこの女と別れられないでいる。
そして セックスにしても 俺は気に入っていた。
女がどんな人生を歩んできたのか知りたくも無いが 肌を合わせた瞬間に 俺は俺が求めている身体は これなんだと いつも想わされる。
ビールを飲みながら ネクタイを解く俺の姿を 端正な横顔の女は 細身の煙草をくわえたまま 穏やかに微笑んでいた。



タクシーが自宅マンションに着いたのは もう有に3時を回っていた。
ふと見上げた部屋は いつもの様に カーテンから薄明かりが漏れていた。
いくら 先に休んでいて構わないと言っても 微笑みながら 『はい』と答えるけれど 決して休んでいた事はない。
ポケットから鍵を取り出し 差し込もうとした瞬間 やはり静かに ドアが開いた。
『お帰りなさい。お疲れ・・・・どうなさったんですか?口元が・・・・』
『ああ 大した事ない。酔っ払いに絡まれただけの事がョ。まだ 眠ってなかったのか。』
上着を渡しながら リビングに入ると ヤンチャ盛りの子供が居る家には見えない程 キチンと整理され 清潔感の溢れるリビングのテーブルに 恵美の趣味であるパッチワークの鮮やかでそれでいて暖かい作品が 花の様に広がっていた。
『すみません。直ぐ片付けます。お休み前に お風呂にお入りになりますか?』
『いや 疲れたから 朝 入るよ。』
『はい 分かりました。では 早くお休み下さい。私は これを片付けてから 休みますから』
『ああ そうさせてもらうよ。おやすみ。』
『おやすみなさい、あなた。』



少しの間 夢の中にいたんだろう。
静かに寝室のドアが開き 恵美が音もなく柔らかい香りと共に 俺の側に滑り込んできた。
その瞬間 俺は 恵美のナイティーを脱がし 静かに 恵美の肉体の海に 落ちていった・・・



         『紅涙』  短編小説 (3) 『男と女』
by deracine_anjo | 2005-01-31 15:25 | 『紅涙』 短編小説
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店の後片付けもそこそこに 急いで 新宿に向かったが やはり 9時を少し回っていた。
店に入った瞬間 心地よいジャズピアノに迎えられ 俺は 心なしか 穏やかな気持ちになったが 兄の顔を見た途端 その気持ちは 無残に叩き潰されたような気がした。
店を出る直前 妻の恵美に電話を入れ 『今日は兄貴と会うから遅くなる』と告げた時も 何故か俺は 恵美に対しても兄貴に対しても 言いようの無い腹立たしさを感じた・・・。
恵美は早くに両親を交通事故で失い 親戚の家を転々として育った。
18に成った年 独立し アルバイトに明け暮れながら 自力で保母の資格を取り生きてきた健気な女だ。結婚と同時に家庭に収まったが 申し分の無い女だと頭では分かるが 何処だか 恵美の従順さやオドオドした態度に 苛立つ時がある。
それが 恵美が 否応無しに 相手の意に沿わない事をしては成らないと 生きる為に身に着けてきた術なのだと 理解しながらも 兄と同じ様に 相手を本気で受け入れない堅くなさが 心の何処かに潜んでいるような気がしてならなかった。
電話口に出た恵美の後ろでは
『お腹が空いたよ~~~~』と恭哉の声が聴こえる。
『はい 分かりました。お兄様に宜しくお伝え下さい。』 
静かな声で 恵美はそう告げると 俺が電話を切るまで 決して自分から電話を切る事はしなかった。



『悪い。待たせたな。』
俺を冷たい眼鏡の下から一瞥すると 
『それ程 待ちくたびれてもいないから 気にするな。』
そういう 兄の前に置かれた灰皿の吸殻が その嘘を物語っていたが 俺は黙って バーボンとツマミを頼んで 煙草に火を付けた。
『仕事はどうだ?』・・・相変わらず 頭ごなしに俺に問いかける。
『丁度 ブームに火がついた感じだから ボチボチって所かな・・・』
『ふん・・・・お気楽そうで いいな。』・・・・こうやって 絡み出したら 手に負えない。
俺は 話を変える様に 
『所で 本当に何があったんだ。兄貴が俺に連絡してくるなんて・・・・お袋の調子が・・・・』
『ボケ始めた!!』
投げ捨てるように放つた言葉に 一瞬 俺は言葉を失った。
『アルツハイマーとか病気の所為なのか?』
辛うじて 俺の知識の中の言葉を吐き出すことが 精一杯だった。
『いや 単純な老人性痴呆が始まったんだ。そのお陰で 受験生を抱えた俺の家はガタガタだ。女房までおかしくなってきた。』



『少し 時間をくれないか・・・・今のマンションでは お袋を引きとるスペースがない。そろそろ俺も家を持とうと想っていた時だから 少しだけ時間をくれないだろうか。そうすれば 俺がお袋を引き取るよ。』
次の瞬間 グラスが割れる音と俺が殴られた鈍い音が 店内に響いた。
プライドが人一倍高い相手に 俺は 不用意な会話を向けたのだ。
慌てて顔馴染みのマスターが 駆け寄ってきたが 俺がウインクした事で 流石この道のプロ・・・・何事もなかったように テーブルを片付け 新しいバーボンをさりげなく テーブルに用意してくれた。
長年 この世界で生きてきた男だけある。
俺は このマスターが好きで 女っ気のないこの店が 気にいっている。
自分の行動に 恥を感じたのか そっと俺にハンカチを渡し
『すまなかった』と 呟いた。



俺は 兄貴と別れてから 数件の店をはしごした。
幾ら飲んでも 酔えなかった。
まだ 母は70にもなっていない筈だ。なのに 痴呆が始まってしまい 義姉達は その事でクタクタになっているという・・・・。
一度 逢いに行こうと想った。勿論 家を建てて母を引き取る事を前提で 考えなければならない事は 山済みにあるような気がしたが その時 俺は 不覚にも 恵美の事は何一つ考えてはいなかった。
いや あいつなら 反対する筈もないし 上手くやってくれるという 甘さが
在ったのは 確かだ。



俺は久し振りに 女の所に 電話を掛けた・・・・。


      
             『紅涙』 短編小説 (2) 『確執』
by deracine_anjo | 2005-01-30 21:12 | 『紅涙』 短編小説
辻井恭介 35歳 妻 恵美 30歳 子供は 長男恭哉 長女愛美 の 4人家族。
青山に輸入雑貨家具店を構えて 早いもので10年になる。
今程 『アジアン・テイスト』に脚光が浴びる前だったが それなりに乗り越え 漸く本当の意味で仕事が面白くなっていた時だった。
子供もそろそろ大きく成ってきた事だし 一軒家を建てる時期かなと思っていた矢先 兄の洋輔から一本の電話が入った事によって思いがけない渦の中に 巻き込まれる事になろう等とは その時は 思いもしなかった。



『ありがとうございます。リファインでございます。』
電話に出ようとした女子店員を手で制して 俺が出たのも今にしてみれば 運命の始まりだったのかもしれない。
『おお 恭介か?俺だ 洋輔だ。』
『何だ 兄貴なのか。悪い電話を切り替えるから 待っていてくれ。』
置くの社長室兼事務所に電話を切り替え 側にいた山下さんに 
『長引くかも知れないので宜しくね。』・・・・そう 告げて 俺は 奥へと引っ込んだ。
正直 兄とは余り仲のいい兄弟ではない。
兄は 父の跡を継いだ形で 銀行員になり 自慢の息子だった。
俺はと言うと 大学時代から 世界各国を バックパッカーの様に放浪して それでも 何とか大学だけは卒業したと言う 放蕩息子のレッテルを家族から 貼られた息子だ。
父は亡くなるまで 俺の仕事を 認めてはくれなかった。
もう 今となっては どうでもいいことだが・・・・。
そして 今は父の残した家を改築して 家族と母と暮らしている。



『もしもし・・・待たせて 悪かったな。今日は どうしたんだい?』
努めて明るく話し掛けようとするが どうも 上手く行かない。
客商売をしている癖に 情けないな!)などと想いながら 相手の言葉を待った。
『ちょっと 話しがあるんだ。今日時間あるか?』
『分かった。スケジュールを見てみるから 待ってくれ。・・・ああ 今夜なら大丈夫だ。』
『じゃあ 新宿のリオンで 8時・・・で大丈夫か?』
『出来たら9時の方が 助かるんだけどな。一応 店が8時までだから・・・・』
『分かった。じゃあ 9時に。』
そのまま電話を切ろうとする兄に慌てて
『何か困った問題でも 起きたのか?お袋の身体の調子が悪いとか・・・・』
『兎に角逢ってから 話す。じゃあな。』
幾つになっても 相変わらずだ。
後味の悪さに 俺は 煙草に火をつけて 溜息を付いた。




言葉では言い表せない 荒涼とした想いが 胸の中一杯に 広がった。


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             『紅涙』  短編小説 『第一章』 

            
by deracine_anjo | 2005-01-30 17:08 | 『紅涙』 短編小説